天皇杯4回戦【新潟へ行こう-2】
2008年11月01日
今年は新潟に遠征するのを楽しみにしていました。 前の日記に書いた山本五十六。明治からずっと政府の要職は薩長というか山口の人ばっかりだし、軍部も例えば陸軍の乃木将軍は長州、海軍の東郷大将は薩摩出身という具合で、昭和になったとはいえ、長岡出身の山本五十六が艦隊の指揮官になったというのはすごいことだったんだろう。乃木将軍、東郷将軍と同じく山本五十六も軍神と崇められたのだが、同じ海軍の東郷元帥が嫌いだったらしく(やっぱ東郷さんの長岡出身の山本さんの仲間に対する扱いがひどかったと山本さんは感じたらしい)、東郷さんが亡くなった後に東郷神社が複数建てられたのを面白く思わず、それで山本神社も作られることはなかったんだとか。 根深いものがあるようです。 近年でも、会津と山口の市民の方たちがなんとか歩み寄ろうとシンポジウムなども開催して双方から市長がパネリストとして参加したり、努力されているようですが、悲惨な戦争で無残に先祖を殺された記憶はまだまだ生々しいのかもしれません。僕は想像するしかないけれど。 そう考えると、たとえばお札で、聖徳太子が人の上に人を作らないといった福沢諭吉になったのもインパクト大きいけど、やっぱり維新の頃の長州側の人間、岩倉具視と伊藤博文がお札だったのが無くなり、会津出身の野口英世が千円札になったのは、やっぱりすごいことなんだなあ、と思ったり。時代は変わっているのかな。 アルビレックス新潟は、トップチームの他にもサテライト、ユース、なでしこの試合があるわけだけど、今年、ホームゲームを唯一長岡で開催したのが、なでしこで福島のマリーゼ。奥羽越列藩同盟の中心となった長岡藩と会津藩。福島のチームを迎えるときだけはやっぱり長岡でないと、と思ったのかはわかりませんが、偶然とは思いません。 で、その長岡藩の中心的存在だったのが河井継之助(この人の記念館に寄り、お墓参りをする予定。)卓越した時代を見抜く洞察力で、小さな長岡藩を小さいなりになんとか存続させようと、改革を行って富を蓄え、最新式の武器を揃え、国を分ける戊辰戦争の中で武装中立を図ろうとした。残念ながら、この人物には長岡藩は小さ過ぎたのと、交渉にあたった薩長側の代表が人物として卑小過ぎた(はっきり言って、アホ)。この人が長岡藩の家老である限りは、この人が道半ばで死ななかったとしても日本の歴史は大きくは変わらなかっただろうけど、でも惜しい人を亡くしたのだと思う。 ところでこの人は自らの号を蒼龍窟と名乗った。 蒼龍、青い龍とは四神のひとつ。青龍、朱雀、白虎、玄武はそれぞれ春夏秋冬、五行説としては青赤白黒を表し、東南西北を守る。三ツ沢のスタジアムはちょっとオフセットされてて、ピッチから見ると東がバクスタ、西がメインスタンド。だからバクスタには青い龍、メインには白い虎を配置するのが風水的によいのではないかな。うちのゴール裏は全体的に青い虎なので、メイン寄りに白い竜を配置するとバランスがよいのかも。なんてね。 アウェイ紀行というより、そのとき歴史が動いたって感じですが。 -- takaoh
- posted by takaoh
- 13:16
- アウェイ紀行
- コメント(0)
- トラックバック(0)


