アウェイ紀行長崎編
2008年07月14日
1週間に3試合ってやっぱり凄い日程ですね。クラメンミーティングと草津戦@日産スタがあったのもたった1週間前のことなのに、なんだかずいぶん前のことの気がします。 次の日曜にはまた福岡に行くので、今週はすっかり九州週間です。 そんなわけで、九州旅行の日記、その1。 九州といえば、弥生時代から福岡が大陸との交流の玄関として、大航海時代には長崎が欧州との交流の玄関として重要な位置であったわけですが、今日は長崎編。12日の試合前に行ってきました。 長崎には去年の天皇杯で諫早に行ったわけですが、前回は気が付かなかったのだけれど、今回、諫早駅前のビルに日総工産さんの店舗が入っていて、その看板に僕らの白いセカンドユニを着たせいぞうくん(http://www.nisso.co.jp/corp/gaiyou.php#seizo)を車窓から発見しました。突然のことだったので写真が撮れなかったけど、遠征先でこういうのって、かなり気分が盛り上がるよね。 長崎に到着してまず出島に向かったのだけれど、出島は天皇杯のときの日記にも書いたので省略。江戸幕府の鎖国期には長崎県内の2箇所だけ、つまり、この出島でオランダと中国と、そして対馬で朝鮮半島との交易が認められていたのですよね。対馬もいつか行ってみたいな。 鎖国の前にキリスト教が禁止され、ポルトガルは出入り禁止、教会も壊されてしまったわけだけれど、江戸末期、鎖国が解けて、また長崎には外国から大勢が居住しにやってくることになりました。そこでまたカトリックの教会も新たに作られることに。その一つがこの大浦天主堂。日本で唯一の西洋式建築物(しかも教会)の国宝です。 外国人用の教会なのに、「天主堂」という日本語の名前を付けたのは、ひょっとしたら日本にもまだ信徒がいるかもしれないという期待からだったということなのだけれど、できて間もなくフランス人神父の元に日本人の一団が信徒であると訪れたそうです。キリスト教が禁止されて200年以上、教会も神父もいない状況で、信仰を続けてきた人たちがいたことがわかった、この「信徒発見」のニュースは「東洋の奇跡」として世界を感動させたそうです。 丘の上に建つ静かな教会の礼拝堂の中で、そんなアナウンスが流れているのを、坂を登って汗をかいた体を休めながら聞きました。僕も中学高校大学と10年もカトリック系の学校に通ってたので、カトリックの教会はなんとなく居心地がよいのでした。
周りの雰囲気もなかなか風情があって、ヨーロッパの小都市の古くからある街みたいな趣き。ちっちゃいけど。
この大浦天主堂に向かう坂の両側には、カステラを売る店が多く、なんとカステラ神社までありました。いいのか、「神社」で。 そんな中、一軒のお店で、横浜のエンブレムの入ったシャツを着ていた僕は、「横浜からですか」と声をかけられました。「横浜FCは、前に奥寺さんが来てくれました」と。へ?
店内に貼られているサインの中に、会長のものも発見。こんなところで奥寺さんのサインに会えるとは。なるほどたしかにうまいカステラだったので、ハニーとチーズの2種類のカステラをおみやげに買いました。人々の味覚が変わるから、常に新しい味に挑戦しているんだとか。極めてオーソドックスな味と思ったけれど、その「オーソドックス」と思う基準が変わっていくということなんだろうな。
こちらは大浦天主堂より後に作られた浦上天主堂。
とてもキリスト教らしい像の前に狛犬が置かれているのが日本ならではなのでしょう。 大浦天主堂ができ、信仰を告白した日本人一団をきっかけに、長崎ではキリスト教信徒が表に出てくるようになったのだが、まだ日本ではキリスト教が禁止されていたために明治政府がそれを弾圧。ようやく禁制が解けて、再び集まった信徒たちによって築かれたのがこの浦上天主堂だそうです。東洋一の教会を目指そうと建築に20年の年月をかけて完成させたのに、その30年後に原爆の被害に逢うことになります。
丘の上に見える鐘楼が吹っ飛ばされ、
こんなところまで落ちてしまったのでした。廃墟となった聖堂は後に撤去されてしまい、現在は新しく(と言っても約50年前だけど)作り直されています。 -- takaoh ところで長崎県って、あの複雑なリアス式海岸と多くの島々のおかげで、海岸線の長さが北海道と同程度(北方領土を除くとダントツ1位)なんだそうです。
- posted by takaoh
- 11:32
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