日本で1番、世界で4番

日曜は、明石から長居に向かう途中、神戸で降りて、去年の神戸戦でも寄った、日本一のバリスタさんのいるカフェに寄ってきました。カズ選手もときどき訪れるとのことですが、今回は時間があったかな。

小学生の女の子たちを連れていたからか、ウサギを作ってくれました。子どもたちも大感激。

味も香りももちろん最高だけれど、そういう心遣いもまたすばらしい。
さすが日本1位、世界4位の実力。

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ワールドバリスタチャンピオンシップでベストカプチーノ賞を受賞した宮前さんの淹れてくれた、世界一おいしいカプチーノ。一度味わう価値あり。来年もまた神戸に来られるといいなあ。





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今夜はなでしこたちもがんばれ!


日本標準時

夏休みなので、今回の大阪遠征はうちの小学生たちも一緒。
大坂夏の陣だから大阪城・・・ではなく、試合前には兵庫を観光してきました。

兵庫なんだったら一の谷の戦いなど、史跡もたくさんあるけれど、今回は無視。お姉ちゃんが夏休みの自由研究の課題を「子午線」に決定したため、明石の天文台に行ってきました。天文科学館に行く道すがらも、源平合戦時のなんとか塚とか、なんとかの碑とかの史跡をたくさん目にしましたが。

ところで一の谷の戦い(の伝説)といえば、そういった、少数の兵が多勢の兵を奇襲でやっつけるという話が日本人好みになったのは、戦争のなかった平和な江戸時代に好んで語られた話であるからだそうです。去年もJ1で、弱い戦力しかなくても工夫して強いチームに勝て!という論調をときどき見かけましたが、それは無理というもの。義経だって、そんな奇襲で連戦連勝だったわけじゃなく、たった1回きりの戦法であって、2度と同じような戦いはやらなかった。しかも、たった70人で1万人を相手にしたというのは物語として残っているだけで、もっと確からしい書には異なる記述もあって、そもそも史実として本当がどうかは疑わしいのだそうです。世界的に見ても、常勝将軍といわれる人はそんな無茶な戦いはまずしないものです。

話が逸れた。

東経135度。日本標準時。

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JSTMはJapan Standard Time Meridianの略です。グリニッジのGMTはGreenwitch Mean Timeで平均値を使います。地球が太陽の周りを公転する軌道が楕円のために、自転速度も一定にならず、つまり、一日の長さが一定にならないため、経度0度のグリニッジの子午線の真上に太陽が来る時間が正確に毎日正午とはならないため、その平均値を算出して世界の標準時刻を決定しているんだそうです。

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ま、とりあえず細かいことは気にしないで、正午ちょうどに子午線上に佇んでみました。暑かった。

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白い線になっているタイルが135度の子午線です。まだ時間が少し早いので、僕の影が線上には来ないで西側に傾いています。今日は正確に時間を計ろうと、電波時計で武装してきました(安物だけど。)

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もうちょい。

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正午ぴたり。ほぼ、影が子午線上です。(影にフォーカスしたので時計がぼけてますが。)地球の軌道が真円ではない分が、影の傾きと子午線の誤差ということになりますが、ほとんどぴったり。市内には子午線上に設置した日時計などもあるようだけど、この日は天文館で正午を迎えてみました。




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福岡紀行

九州旅行の日記2日目は福岡編。

こちらも古くから外交と防衛の重要な拠点だったわけで、地図を見ると朝鮮半島までの距離って、広島くらいまでの距離しかなく、奈良の都なんて遥か彼方。奈良からしたら辺鄙な地に左遷というイメージだったのかもしれないけれど、福岡は外国の文化や物品がいち早く伝わったり、また中国などとの戦争の拠点でもあったり、最先端の地だったのじゃないのかなという気がします。

まず最初に訪れたのが、大宰府。太宰府じゃないほうの大宰府。

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大宰府政庁跡全景。7世紀に建てられた、今でいえば官庁ですが、南側には朱雀大路が広がり、東西北側の周囲を山で囲まれた、軍事上にも重要な地形になってます。重要な遺跡だけれど、観光客はまったくおらず、ひろびろとした緑の公園って感じで、BBQをしている一団がいました。楽しそうだったけど、文化財保護法で規定された国の特別史跡でBBQなんて許されるものだったのか。

白村江の戦いの後、新羅の軍隊が報復に日本まで攻めてくるのに備えて水城(水の張った堀)を作り、最終的には大宰府で迎え撃ち、いよいよとなったら軍隊は周囲の山に逃げ込み、援軍が到着するのを待つ、という作戦だったようです。そういう地の利を生かす綿密な戦術を立てたのは、日本の連合国だった百済から来た兵法家たちだったそうで、当時の日本は朝鮮の国々に200年は遅れてたとか・・・地元のボランティアのおじいさんの説明を聞きながら、ああ、それは孫子の兵法書の内容に則した戦術だったのだななどと、遥か昔に思いを巡らせました。

それらが契機になり、日本もあり方を考え直さねばということで大宝律令ができ、それを持って「日本」という国が誕生した(それまでは「倭」だもんね。)という、日本の成り立ちにとっても大宰府は重要な場所だったのでした。

なお、現在は静かでのどかなこの大宰府ですが、当時は西側に常時1万2千の軍隊が待機していたそうです。

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ここが建物の跡。ここで政治を司ったり、納税品(当時は物納)を受領したりしていたわけですね。

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正面が天皇の場所。実際にはえらい大臣が来たり、親王が天皇の代理で来ていたそうです。

ひろびろとした場所で気持ちがいいや。BBQでもやりたいね(ウソ。)

その後、大宰府じゃない太宰府の方にある天満宮に参拝に行きましたが、こちらは省略。

で、次に向かったのが、

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なんか立派な石碑が立っていますが、元の14万人の軍隊が海から攻めてくるのから守る目的で作られた防塁なので、当然ここは海岸線。海水浴場になっている砂浜の後ろの防砂林の中に立っていました。大事な国の史跡であるからBBQやキャンプなどしてはいけないよとの看板も。

元寇は2回あって、最初はちょっと脅して、また来るぞ、嫌だったら降伏しろ、という威嚇行為だったものと思われます。すぐに帰ってしまいました。日本軍は海沿いで戦うものの、劣勢になって大宰府まで逃げ帰ったということなので、やはりこのときも大宰府が、その地形も含めて要塞として機能していたのでしょう。

日本は元の属国にはならず、防衛する道を選択し、そこで福岡の海に沿って、20kmにわたる石塁を築くことにします。

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その跡がこれ。当時は高さが3mもあったらしいのだけれど、700年の年月はその壁を砂に埋もれさせてしまった。

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これはその一部(200m)を掘り返して保存したもの。当時、石の一つ一つを時間をかけて運んだんだろうなあ、と、蒸し暑い中、そのご苦労を想像せずにはいられませんでした。

ここで当時の御家人たちがふんばった(肉体的にも、そして経済的にも)結果、2度目も元軍は撤退、日本が守られたわけで、このときもし負けてしまって植民を許していたら、今と違う日本になっていたかもしれません。

防衛のための戦いでは戦利品があるわけではないので、政府も褒賞金を出す財源がありません。御家人の負担を補いたくてもできなかったために、「君たちのおかげで元から日本が守られたのじゃなくって、貴族がお祈りした結果、神風が吹いたからなのだよ」という苦しい言い訳をしたのかもしれません(という説があって、僕はもっともらしいと思っています。)であるならば、それがきっかけで、後世になって、根性さえあれば神風が吹くから大丈夫、というような根拠のない理屈できちんと準備をせずに無理な戦いをしたりしていくことになってしまったのかもしれない、と思い、残念にも思います。

そこからは一度空港に戻って、今度は海沿いにある東郷公園(中に東郷神社があります)に出かけました。

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20世紀初めの日本海海戦の場所を臨むこの場所に東郷神社が建てられています。東郷元帥に心酔した方が建てた神社だそうで。マニアも高じてここまで来ると立派です。100円払って入った宝物殿の中には戦艦三笠の巨大な木製の模型がありましたが・・・なんだかまるで違う船に見えました。でも、宝物殿の外に置いてあるこれは、本物の三笠の主砲の一部だそうです。30サンチ砲ですね。

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公園は小さな山の上にあるのですが、その展望台から臨む日本海。展望台には日本海海戦記念碑があり、その碑は船の形をしていました。海に向かって「主砲」までありました(写真の右端にうっすら写ってる)が、ちょっとやりすぎな気も・・・。

ともかく、当時、日本海軍各員が一層奮励努力した結果、ここでロシアのバルチック艦隊を撃滅し、日本が守られたわけで、もし負けていたら、今とずいぶん違う日本になっていたかもしれません。




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おまけ

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その1:元寇防塁跡からの帰り道に福岡市内で見つけた。

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その2:鳥栖から博多に向かう電車内で発見した。警察官になる方の中で九州出身の方が多いということを昔からよく聞くが、我らが神奈川県警のリクルート用広告。これって最近横浜駅なんかにも貼ってあるのと同じものかな。


長崎紀行

1週間に3試合ってやっぱり凄い日程ですね。クラメンミーティングと草津戦@日産スタがあったのもたった1週間前のことなのに、なんだかずいぶん前のことの気がします。

次の日曜にはまた福岡に行くので、今週はすっかり九州週間です。

そんなわけで、九州旅行の日記、その1。

九州といえば、弥生時代から福岡が大陸との交流の玄関として、大航海時代には長崎が欧州との交流の玄関として重要な位置であったわけですが、今日は長崎編。12日の試合前に行ってきました。

長崎には去年の天皇杯で諫早に行ったわけですが、前回は気が付かなかったのだけれど、今回、諫早駅前のビルに日総工産さんの店舗が入っていて、その看板に僕らの白いセカンドユニを着たせいぞうくん(http://www.nisso.co.jp/corp/gaiyou.php#seizo)を車窓から発見しました。突然のことだったので写真が撮れなかったけど、遠征先でこういうのって、かなり気分が盛り上がるよね。

長崎に到着してまず出島に向かったのだけれど、出島は天皇杯のときの日記にも書いたので省略。江戸幕府の鎖国期には長崎県内の2箇所だけ、つまり、この出島でオランダと中国と、そして対馬で朝鮮半島との交易が認められていたのですよね。対馬もいつか行ってみたいな。

鎖国の前にキリスト教が禁止され、ポルトガルは出入り禁止、教会も壊されてしまったわけだけれど、江戸末期、鎖国が解けて、また長崎には外国から大勢が居住しにやってくることになりました。そこでまたカトリックの教会も新たに作られることに。

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その一つがこの大浦天主堂。日本で唯一の西洋式建築物(しかも教会)の国宝です。

外国人用の教会なのに、「天主堂」という日本語の名前を付けたのは、ひょっとしたら日本にもまだ信徒がいるかもしれないという期待からだったということなのだけれど、できて間もなくフランス人神父の元に日本人の一団が信徒であると訪れたそうです。キリスト教が禁止されて200年以上、教会も神父もいない状況で、信仰を続けてきた人たちがいたことがわかった、この「信徒発見」のニュースは「東洋の奇跡」として世界を感動させたそうです。

丘の上に建つ静かな教会の礼拝堂の中で、そんなアナウンスが流れているのを、坂を登って汗をかいた体を休めながら聞きました。僕も中学高校大学と10年もカトリック系の学校に通ってたので、カトリックの教会はなんとなく居心地がよいのでした。

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周りの雰囲気もなかなか風情があって、ヨーロッパの小都市の古くからある街みたいな趣き。ちっちゃいけど。

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この大浦天主堂に向かう坂の両側には、カステラを売る店が多く、なんとカステラ神社までありました。いいのか、「神社」で。

そんな中、一軒のお店で、横浜のエンブレムの入ったシャツを着ていた僕は、「横浜からですか」と声をかけられました。「横浜FCは、前に奥寺さんが来てくれました」と。へ?

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店内に貼られているサインの中に、会長のものも発見。こんなところで奥寺さんのサインに会えるとは。なるほどたしかにうまいカステラだったので、ハニーとチーズの2種類のカステラをおみやげに買いました。人々の味覚が変わるから、常に新しい味に挑戦しているんだとか。極めてオーソドックスな味と思ったけれど、その「オーソドックス」と思う基準が変わっていくということなんだろうな。

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こちらは大浦天主堂より後に作られた浦上天主堂。

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とてもキリスト教らしい像の前に狛犬が置かれているのが日本ならではなのでしょう。

大浦天主堂ができ、信仰を告白した日本人一団をきっかけに、長崎ではキリスト教信徒が表に出てくるようになったのだが、まだ日本ではキリスト教が禁止されていたために明治政府がそれを弾圧。ようやく禁制が解けて、再び集まった信徒たちによって築かれたのがこの浦上天主堂だそうです。東洋一の教会を目指そうと建築に20年の年月をかけて完成させたのに、その30年後に原爆の被害に逢うことになります。

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丘の上に見える鐘楼が吹っ飛ばされ、

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こんなところまで落ちてしまったのでした。廃墟となった聖堂は後に撤去されてしまい、現在は新しく(と言っても約50年前だけど)作り直されています。





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ところで長崎県って、あの複雑なリアス式海岸と多くの島々のおかげで、海岸線の長さが北海道と同程度(北方領土を除くとダントツ1位)なんだそうです。


松山紀行・続き

松山紀行の続き。
昨日は漱石と子規だったので、今日は残りの二人、秋山兄弟編。
愛媛に行く前に、戦艦三笠を訪ねていたので、それとセットで「坂の上の雲」のまち、松山。

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お土産やさんのアーケードにも「坂の上の雲」のまち。

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バスにも「坂の上の雲」のまち。

「坂の上の雲」のまちの看板はスタジアムのピッチ脇にもあったのでテレビに映っていたのに気が付かれた方も多いはず。

司馬遼太郎さんの小説「坂の上の雲」は、できたばかりのちっぽけな明治日本が、当時の欧米の列強の植民地政策の中に飲み込まれまいと、人々が志高く努力してがんばったという話を描いた長い小説。松山出身の秋山兄弟、正岡子規の3人が主人公で、また来年からNHKでドラマ化されることが決まり、撮影が始まったこともあって盛り上がっているのです。

秋山兄弟ゆかりの地として、まずは生家を訪れてみました。最近復元したばかりの家を見学できるようになっていて、入るとボランティアの方たちが丁寧に解説してくれました。松山に来る前に三笠に行って来たことを告げるととても喜んでもらいました。

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こちらが弟の海軍の参謀・真之の像。当時作られたオリジナルを元に、1.5倍のサイズで新たに作られたものだとか。どこかで見たなあと思ったら、これの小さいものが三笠の中にありました。

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なんだか感激。手の位置が逆だけど。

天才的参謀のこの人は寝食を忘れて常に作戦に没頭し、最後はやるだけのことはやったので、運を天に任せるしかないという境地に至ったようです。実際、ロシアの世界最強といわれたバルチック艦隊を破ったのは、運によるところが大きいと言いながらも、一方で勝つべくして勝ったとも言っています。やるだけのことはやったので、運を味方にすることができたということなのでしょう。そもそも、東郷元帥が司令長官に選ばれたのも、その運のよさを買われてのことだったという説もあります。戦いには指揮官の運も必要なのでしょう。

さて、それから道後温泉にある兄・好古のお墓をお参りして、坂の上の雲ミュージアムに行きました。

坂の上の雲ミュージアムは、小説に登場する人たちの手紙や遺品や作品などの展示、一般的な明治時代の人々や時代についての展示物の他に、いろいろな人たちの小説「坂の上の雲」に関する、エピソードや思いなどを、あるいは習字だったり、あるいは絵画だったり、あるいは彫刻だったり、作文だったり、さまざまな形で展示しています。ネット上の掲示板にファンが集って文章を寄せたり画像を載せたりというのに似た感じ(こっちが本物でネットがバーチャルなんだけど)でした。貴重な資料の博物館であり、ファンの集う場所でもあるようです。普通の市民による作品も多い中、なにか登場人物にゆかりがあったり、地元にゆかりがあったりする各界の著名人の手になるものも展示されていました。

たとえば、

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しりあがり寿さんの作品があったり、

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これは山本容子さんの作品。他にも日比野克彦さんの作品、荒木経惟さんの作品、ドラマで真之役をやる本木雅弘さんによる真之辞世の句を書いた作品などなど、たくさんあって楽しめました。

そんな中、僕の目を引いたのが、地元松山出身のマラソン選手、土佐礼子さんの文章。

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昨年、一時は出場が危ぶまれる怪我の後に出場した世界陸上でのこと。レース終盤、順位を落としたものの、絶対に諦めず、「どんなに苦しくてもダメだと思った瞬間に脚は動かなくなる」と粘り、最後は銅メダルと、そして北京オリンピック出場権を獲得したのだ、と。

マラソンは42.195km。今年のJ2も42試合。明日で折り返しの21試合目・・・僕らもまだまだこれから後半を粘り強く、苦しいときも乗り越えていこうと思ったのでした。

ところで街に出ると、愛媛FCショップみたいなのがありました。

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ディスプレーはなんともおおらかな感じで・・・こういう態度はなかなかよいものなのもかもしれませんね。

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ちなみにスタジアムではなぜかこんなステッカーをもらいました。サポの方たちはうれしいだろうな。




了
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漱石と子規

大仰なタイトルにしてしまったが、松山紀行の一回目。

松山といえば、「坂の上の雲」の街ということで秋山兄弟と正岡子規、それに加えて、夏目漱石というのが現在セットで売り出し中のようで、そんなポスターをたくさん見ました。漱石と子規は東京大学予備門でのクラスメートで、後に漱石が英語教師として松山に来た頃、しばらくの間、子規とも一緒に住んでいたようです。

今回の遠征は一泊していろいろ見てきたので、せっかくなので松山紀行漱石と子規編。

まずは坊っちゃん列車に乗ってみました。

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観光用に1時間に一本程度の運行のようです。日曜の9時台のものに乗りましたが、乗客は他になし。貸しきり状態で楽しみました。

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路面電車の路線を、蒸気機関車ではないんだけれど、ディーゼル機関車が引っ張ります。運転席の真ん中あたりに、今は使われていない炭を入れる炉が見えます。

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車内はこんな感じで、坊っちゃんによればマッチ箱のようということだけど、それは徳用マッチ箱ですね、きっと。木の匂いが懐かしい感じです。

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到着した先は道後温泉。残念ながら、温泉に入る時間がありませんでしたが、次回はぜひ入浴してみたいものです。千と千尋みたいな外観が楽しい。この建物は明治からある由緒正しいものだけど。

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坊っちゃんキャラクター大集合で迎えてくれました。赤シャツとかのだとか山嵐とか、見てるだけで楽しいです。のだには「のだのクセに生意気だ」と言っておきました。

道後温泉をあとにして、また市内の中心地に戻りました。

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これは、坂の上の雲ミュージアムのすぐ上にある愚陀仏庵という、夏目漱石が松山時代に住んでいた家を復元したもので、当時、1Fに子規が住み、2Fに漱石が住んでいたそうです。

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松山市駅近くのお寺にある子規堂。子規の住んでいた部屋を復元したり、使用していた道具などを展示していたり、静かだけど圧倒するなにかを感じました。病床の身でありながら、俳句の世界で戦う様は壮絶で凄まじい。僕は元気な身だけれど、この人のエネルギーには敵わない。

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こちらは、子規堂の中に展示されていた、四季を描いた色紙。

正岡子規式四季色紙。

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市内の県庁前の、今ではNTTになっている場所にある、松山中学の跡。ここで秋山真之さん、正岡子規が学び、後に漱石が英語教師を務めたという場所です。

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松山は特に観光に力を入れているようで、街中のいろんな場所で坊っちゃん&マドンナの観光ガイドさんたちを見かけました。一緒に写真を撮ってくれたりします。こちらは坂の上の雲ミュージアム近くで一枚。坊っちゃん&マドンナは大勢みかけたけど、そういえば、秋山真之さんも1人お見かけしました。真之さんに傾倒しているおじさんが夏の白い軍服で腰に短剣をぶら下げてコスプレされてましたが、なんだかそういうのって楽しそうだなあ。

ところで、正岡子規といえば、一方で、野球を広めたことでも有名で、日本の野球界の殿堂入りをしている。東大には当時アメリカ人教師がいて、彼らから野球を教わったということで、「野球」という名称自体、子規が考えたものだとか。「ベースボール」だから直訳すれば「塁球」になるはずだけど、本名の「のぼる」にひっかけて「野(の)球(ぼーる)」にしたんだとかいうウワサです。それ以来、愛媛では野球が盛んになったということなんだけど、松山にある立派な野球スタジアムの名称は一般公募の結果、「坊っちゃんスタジアム」・・・そっちか。最寄駅は通称「のボール」駅になってバランスを取っているようです。漱石は英国留学時代、サッカー観戦はしなかったのかな?調べてみよう。(東郷元帥はニューカッスルの試合を観戦したようです。)




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第19節仙台戦【遠征は楽し】

そういえば、高校の修学旅行はなぜか東北で、最初に青森まで行ってから南下しつつ、旅程の最後がたしか仙台でした。

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水曜は、東京駅から新幹線でいっきに仙台を目指しました。仙台までは2時間かからず。高校生のときは東北新幹線がぎりぎりまだできてなかったので、上野駅から寝台でけっこう時間がかかりましたが、今は速いものです。

新幹線に乗ると、知り合いの横浜サポの方や、顔見知りのサポの方や、お会いしたことのないサポらしき方などお見かけしました。

そんなこともあり、試合に対する期待もあり、高揚感でワクワクしながら、同行のサポ仲間と二人でビール片手に与太話をしていると、なんだか修学旅行気分。いや、修学旅行ではビールは出ないか。あっという間に仙台到着。

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仙台に到着すると、早朝からてくてく向かっていた先発隊とも合流してさっそく牛タンを食しに。炭火で焼いてくれた厚切り牛タンが実に美味でした。麦飯はキーマカレーでいただいた。アウェイ遠征の楽しみの一つです。

満足してからスタジアムに向かうと、平日の夜だというのに、広島戦のときとは違ってスタンドには横浜サポがけっこういっぱい。やっぱりうれしいです。みんな、がんばろう。

帰りの新幹線は最終で時間が厳しく、試合終了の笛と同時にスタジアムを後にした。帰りの新幹線もあっちにもこっちにも横浜に帰るサポがやっぱりいっぱい。6人がけシートに4人で談笑しながらの1時50分は、他の車両からサポ仲間さんも合流しに来てくれたり、またちょびっと修学旅行気分。

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おみやげにずんだ餅とこちらのずんだうさぎを買いました。日曜に三ツ沢に持って行きます。勝ち点の土産がなくてごめんなさい。





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第15節広島戦【ちょびっと市内】

広島駅に到着したのは夕方4時半を少し過ぎたところ。試合開始まで時間があるので、市内にお好み焼きを食べに行くことにしました。

ビッグアーチに行くのは1年ぶりだけど、前回も飛行機で着いたらスタジアムに直行。広島は仕事で来たことも何度かあるけれど、やはり空港から訪問先までタクシーで直行、終わったらまた空港までタクシーで直行だったので、市内に来たのはというと・・・考えてみるとちょうど20年ぶり。わぉ。

というわけで、短い時間だけれど市内に出た模様を雰囲気だけでも。

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街中に出るのには市電が便利・・・なのかどうかは知りませんが、とりあえず乗ってみました。距離に関係なく全区間150円で、いろんなところに行かれるようです。市電といえば、去年の天皇杯で訪れた長崎にもありましたが、少し雰囲気が似ているような?これは何両かがくっついた、新しい車両のようです。今となっては珍しく、車掌さんに運賃を直接支払うタイプです。

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線路はこんな感じ。こんなのの上を電車が走るのだ。

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交差点はこんなふうに自動車が線路の上を普通に横切ります。昔は横浜にも市電が走ってたんだけど、覚えてますか?トロリーバスじゃないですよ。

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八丁堀に到着。

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これが乗ったきた日比谷線(うそ)

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近くに三越があるのは日本橋(うそ)

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ぷらぷら歩いていたら、なんとユナイテッド・アローズを発見。20年前は商店街にある服飾店しか目に付かなかったのになあ。矢を束ねてがんばろう。

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向かった先は、こちらのお好み村。今まで、広島空港にあるお好み焼きやさんのお好み焼きしか食べたことがなかったんだよね。

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女将さんが焼いてくれました。サッカー観戦に来たというと、浦和が来ると電車が真っ赤になるとか語ってくれました。それはともかく、

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できあがり。おいしかったです。こういう地元のおいしいものにありつけるのが、アウェイ遠征の一つの醍醐味です。

おいしかったのはよかったんだけど、スタジアムまでの道のりを甘くみてました。元町で遊んでて三ツ沢まで行くみたいな感覚でいたら意外に時間かかりました。シャトルバスの運行間隔がなぜかけっこう長く。

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スタジアムに着いたら、スターティングメンバーの発表の時間・・・やべっ。




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ただいま勝ち点23


第12節甲府戦【お土産なし】

GW最後の日でしたが、交通渋滞のピークは前日の5日だったようで、行きも帰りも大した渋滞がなくって助かりました。

行きは立ち寄るSA、PAで誰かしら横浜ユニを着た同志の方たちをたくさんお見かけ。みんな、がんばろう!
と思ってたら、今回に限り別行動だったサポ仲間ファミリーともばったり。これは偶然か必然か。

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渋滞がなかったおかげで甲府にはずいぶん早く着いてしまったけれど、まずは腹ごしらえ。ファミリーも合流して大人数でほうとうを食べに行きました。甲府に来れば、あるいは山中湖や河口湖に来れば、必ず立ち寄るほうとう小作ですが、今回はこちらの店舗に初めておじゃましました。

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店舗によってメニューが異なる場合があるようだけれど、僕が楽しみにしていたのは辛口豚肉ほうとう。こちらのお店ではおいしいキムチが付け合せで出てきました。冷たいほうとう「おざら」は5月7日からということで、一日早くて食せずにやや残念。

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甲府は盆地なので、前後左右のどこを見ても立派な山・山・山・山・・・。僕は海派ですが、こういう3000m前後の山の景色はやっぱり素晴らしい。

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スタジアムからも山。

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山山      山山山
山山 スタ   山山山
山山     山山山
山山山山山山山山山

それにしてもスタジアムに14,521人とはいっぱい入ったなあ。天候のせいも多少はあるのだろうけれど、前節のニッパツ三ツ沢での熊本戦より1万人も多い。

小瀬は、5、6年くらい前だったか、観客も少なくって、ゴール裏に席もなくって、スタジアムが広く大きく見えたけど、今はびっしりで、席数が増えたのにむしろ狭く感じられる。こうなると、さらに座席も増設するとかそういう必要もあるかもしれないという感じがするなあ。ニッパツ三ツ沢も、座席増設の改修の必要が感じられるくらいに動員を増やしたいものです。

以前は公園内の駐車場に車を楽々停められたのに、今は臨時駐車場からかなり歩かないといけないんだもんなあ。

帰りは信玄餅も勝ち点も、お土産はなく・・・。




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ただいま勝ち点17


第7節山形戦【山形最高〜っ!】

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気分を変えて、山形遠征で楽しかった話の日記。今年の遠征で最も楽しみにしていた場所のひとつ、山形はなにしろ食べ物が美味。当日、朝ご飯は6時くらいにクロワッサンひとつだけ。横浜から山形までの4時間半、道中はひたすら飲まず食わず(コーヒー飲んだり、ドーナツもらって食べたけど)。すべては山形でのあれやこれやを堪能するためにガマンガマン。

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スタ到着で、まずは入り口そばに店を出している芋煮をいただきました。400円。がっついていたので写真撮る余裕もないうちに完食。(その後、すぐに売り切れていて、同行のサポさんたちはありつけなかったので、この立ち上がり直後の速攻が功を奏したようです。)「1年半ぶりです、楽しみにしてました!」と言うと、お店のおじさんも「カズを見るのを楽しみに待ってました」と。いや〜待ってくれてなくてもよかったんですけど(降格を)。

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次は牛串。

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300円でこんなに大きい。堪能しました。やっぱり焼くのに時間がかかるので、列に並んで待っていると、芋煮もうまいし、楽しみにやってきた山形だし、「山形最高〜っ!」と盛り上がる僕。列に並んでらした地元の方が喜んでくれたのか「あれもおいしいからぜひ食べてって」と教えてくれたのが、どんどん焼き。

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ソース味としょうゆ味とあって、どっちを食べるべきかお店の方に聞いてみると、普通はソースが人気、通はしょうゆということだったので、とりあえずはソースで行ってみました。要するにお好み焼きを丸めて割り箸を刺したものなのだけど、その原型は安土桃山時代までさかのぼることができる由緒正しいものだとかなんとかいうことだけど、地元の方は「山形のジャンクフード」と呼んでました。うまかった。1本200円。

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目の前でこんな具合に焼いてくれます。

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もうすぐできあがり。

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もちろん、米沢牛の煮込み(芋煮にも似てますが)も食しました。にんじん、こんにゃく、ねぎ、そしてびっくりするほど米沢牛が大量に入ってました。柔らかくて激ウマでしたよ。は〜行った甲斐があった。400円。

満腹で満足になったあとは、デザートタイム。

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NDソフトクリームを食べてみました。NDソフトスタジアムの看板をバックに撮ったのだけど、縮小すると見えないや。

抹茶味のソフトは、まあ普通かな?それからコーヒーを頼みましたが、エスプレッソなどはマシーンでその場で作ってくれるようで(J's Goalにも写真が出てました)すが、ドリップはポットから。こちらもまあ普通かな?

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その横ではJリーグカードを売っていたので、のぞいてみました。横浜FC関係者分をまとめて売られていたので、都並監督の若かりしころのカードなどもあって、楽しめましたよ。今年のうちのチームの分を買いました。

yatai

また別の地元の方がいうには(びっくりするほどフレンドリーで、何人かの方が話しかけてきてくれました)、以前はスタジアムの食事に不満があった(僕の感覚では以前からかなり充実してたけど)のでサポーターが声をあげたところ、その声を反映してこのように屋台を外に出してもらうようになったのだとか。人気の定番メニューの屋台の他に、週替わりメニューの屋台もあって、飽きずに楽しめるようです。

さらにはモツ煮の屋台(こちらは週替わりのようです)まであり、さすがにもう食べなかったのだけど、売り子のおばちゃんが、呼び込みで、モツ煮と売り子のお姉さんを宣伝して、「モツ・ミス煮〜」と・・・お姉さんが「ミス・モツ煮込み」との意味なんだけどもちろん。ミスを煮込んじゃっていいのかと、一緒に笑って和みました。

なんて入場する前に屋台のあたりで楽しんでいると、気が付けばあっという間に1時間くらい経過・・・

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選手紹介の時間になってしまった。掲示板を見ると横浜の選手の紹介は終わっていて(不覚)、今は山形・キタムの紹介の最中。

いそいでビジター席へ向かいました。

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ハーフタイムにはメインスタンド裏に買出しに行って、カレーパンをおやつに。

以上、しめてほぼ2千円のスタジアムグルメ。食った〜。交通費が6千円、チケットが2千円だったので、食って騒いで1万円ぽっきり、山形の旅を堪能しました。


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おみやげは勝ピーと勝ち点0。




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takaoh
ただいま勝ち点10
一緒に昇格する相手は山形を希望します。


第1節徳島戦【アウェイ遠征記】

久しぶりの応援は、こちらも体が慣れてないというか、疲れました。時間の流れ方の感覚がまだまだというか。前半、残り10分くらいかなと思ったら、まだ22分、ちょうど半分残っててびっくりしました。だいたい時計見ないでも経過時間って感覚的にわかるつもりだったんですが。ま、これからです。

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鳴門はわかめ作っていて、おいしいです。大鳴門橋のすぐ下でもわかめ作っているのが見えました。おいしくてブランドが確立されているようで、最近はよその国からの偽鳴門わかめが出回って問題になっていたようです。大鳴門橋に行ったらば、わかめ入りソフトクリームがあったのでさっそく食べてみましたよ。たしかに味はわかめ風味・・・のソフトクリームの味。まずくはないです。ただ、わかめの味がします。食べかけのソフトクリームですんません。

夜には普通にわかめをいっぱい食べました。ソフトクリームとではなく、瀬戸内海で取れた魚の刺身と一緒にです。これは本当においしかった。お土産に大量の乾燥わかめをもらってきました。


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徳島といえば当然、讃岐うどん。大好きです。
というわけで、試合前のお昼ご飯は地元でも美味いと評判のうどん屋さんに行って、「かまたま」を頼みました。

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釜あげうどんにたまごと薬味を混ぜて生醤油をかけて食べます。カルボナーラみたいなもんでしょうか?でもとにかくうまい!大盛りもなぜか無料のサービスでしたが、普通盛りでまったく十分。ご馳走様〜。

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四国なんで海に囲まれてもいますが、内陸を見れば山ばかり。徳島には映画にもなった眉山がある(今度はTVドラマ化されるようです)けれど、剣山が最高峰の1955m。遠くから山々を眺めると神々しい感じがします。つるぎさん、お遍路さん、勝ち点さん。

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スタジアムで見かけた、怪しいおじさんとあやしいマスコット。すだちちゃんとかなんとか。でも意外に愛嬌があります、おじさんもマスコットも。

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街中にはところどころにヴォルティスののぼりやポスターが見られました。こののぼりは空港で撮影したもの。
ポスターは「開幕戦のスタジアムを1万人で青く染めよう」とかなんとかで、商店の窓に貼られているのをたくさん目にしました。営業さんご苦労さん。

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で、実際は6150人・・・なのでまずまずではないでしょうか。

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今まで何度か来てたわりには気が付かなかったけど、空港のラウンジの名前がVortisだったんですね。四国といえば野球王国というか、独自に四国リーグもあるくらい野球が盛んで、サッカーは人気がいまいちな印象がありますが、こんな形でも地元の方たちがサッカーを盛り上げていこうというような意気込みというか熱意というか、そういうようなものを感じました。

さて、帰り道。去年も何度も帰りの空港でチームと一緒になりましたが、正直なところ、やはり負けが込んでからはかなり辛いものがありました。くじけずがんばろう、と思うのも心が強くなくっちゃね。

今回の徳島遠征はなによりシーズンの初戦を勝ったわけで、単純にとても楽しい帰り道となりました。記念撮影してもらったり、ほよよんと。

今回の遠征では徳島の方たちの歓待もうれしかったのですが…最後、空港のセキュリティーチェックの順番待ち行列で、我々の後ろに並んでいた東京へ帰る一般の旅行客の方たちの会話が聞こえてきました。

「サッカーの横浜FCの選手の人たちが、試合終わって帰るので、空港にいらっしゃってるみたいですよ」
「ほう、○○○○の選手ですか」
「いいえ、横浜FC。・・・○○○○の方だったら好きだったんですけど」

って、おいおい!知らないご婦人だったけれど、

あはは、すっごい失礼ですよね!あはははは。

とにこやかに突っ込んでおきました。




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takaoh


長崎遠征

今年最後の遠征は、行き帰りに横浜サポやファンの方との楽しい出会いもありました。

行きは諫早駅で偶然お会いした横浜サポの方にスタジアムまで車に乗せて頂いたり、帰りのスタジアムから長崎駅へ向かうバスでは、隣の席に座られていた地元の横浜ファンの方から、観光案内とおいしいちゃんぽんの店を教えていただいたり。ありがとうございました。

というわけで、試合のあとの帰りは長崎市内に寄ってみました。2、3歳の頃に連れられて来たのはさすがにまったく記憶がなく、ほぼ初めてだし、なにしろ歴史のある街だし、いろんなところを見て周りたかったのだけど、でも時間的に一箇所が限度です。

諫早から長崎市へはバスで1時間くらいかかるので、長崎に着くともう4時過ぎ。調べてみると市内から空港までバスでやっぱり1時間ほどかかるようで、7時の飛行機に合わせて6時半くらいに空港に着くためには、5時半までの1時間ちょいしか時間がない。でも発つ前にちゃんぽんもしっかり食べたい。

そこで急いで向かった先は、出島。

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といってももちろん駒場じゃない。
(ここまでわざわざ案内していただきました。ありがとうございました。)

以前はミニチュア模型しかなかったということだけど、今は出島そのものが同じ場所にほぼ似た形で復元されていて、博物館のようになっています。

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昔の絵を見ると出島は島として海に囲まれてますが、今は3方が埋め立てられていて「島」にはなっていないんですね、知りませんでした。

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500円払って中に入ると、当時の町並みがこのように再現されています。奥行きはけっこうありますが、幅が狭い。広い海原を長い月日をかけて航海してやっと着いた遠い異国の地で、こんな狭い場所に押し込められていたら気が滅入るかもしれないなあ。こんな場所ではオレンジ軍団もサッカーできないよなあ・・・。

など、遥か昔、そして遥か阿蘭陀の地に思いを馳せます。

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カピタンさんの部屋も大公開中。もちろんお邪魔しました。カピタンさんには会えなかったけれど。

出島見学の後は、長崎駅まで市電に乗って向かいました。横浜にも昔、市電が走っていたの、覚えてますか?

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市電の運賃案内。幼児は年上の人が連れている場合は無料ということなんだろうけど、でもなんだか不思議な料金設定です。年長さんと年中さんの二人は合わせてなぜか100円払うのに、1年後、小一と年長さんになると二人合わせて50円。どこもこうなのかな。

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帰りのバスで教えていただいたお店がこちら。飛龍園という名前がいいです。なにしろ飛ぶ龍です。そして「ヒリュウエン」という響きが、文字だと想像できないかもしれないけれど、口に出してみるとなんとなく「フリエ」っぽい。

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ちゃんぽんは「特製」ではなく「並」を頼みます。550円。空港行きバスに乗るまでの時間がないので大急ぎで作っていただきました。慌てて食べたのがもったいなかったので、お土産に皿うどんを購入しました。

時間がなくって瞬間的観光だったけれど、いつかまたゆっくり見て周りたいです。来年は3回は九州に来ることになるから、そのときにでもぜひ。



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takaoh
★★★ AS ONE YOKOHAMA FC



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