今日は歴史的な日

日本の資本主義の底が抜けた今日。

巨人が優勝しました。

地上波でのテレビ中継が、全く、一切、これっぽっちもありません。

ベイスターズとタイガースの中継が、テレビ神奈川ですらありませんでした。

私の知る限り、これほどさびしいセリーグ優勝決定はありません。
これがプロ野球をとりまく今の現実であり、またひいては、スポーツ
というものに対する関心の現実なのかな、と思います。

価値は多様化している。そして拡散している。
そのなかで、私たちは選択したものに向かって人生の幾許かを賭けている。
少し前まで。指向される対象は、その価値を周囲と同じに求めていました。
今、その矢印は必ず自らが指し示し、歩み続けるものへと変わった。

私の愛する横浜FCとともに、マスを気にすることなく、迎合することも無く。
そしてこの危機的な状況でも、私は横浜FCとともに生きていく。そう誓える。
今日、確かに歴史は動き始めたんだな、と感じてます。

国立競技場に往ってきたよ。

久しぶりの横浜FC生観戦。
いっぱい人が来てくれてうれしいですね。
まあ、タダ券いっぱい蒔いたのかもしれないんですが、
それでも20000人超えの観衆。私はいつもなら2000円の前売り券じゃ入れない、
メインスタンドにいたんですが、タダ券で招待されたらしき親子連れが
2対2という均衡した試合に大喜びしてくれていました。
この試合を契機に横浜の応援をしてくれるかっていうと、それはまた別のお話ではありますが。

今日はカズが出場しなかったということもあって、ハーフタイムにカズが
メインスタンドの貴賓席に現れたときは大盛り上がり大会になってました。
凄い人なんだな、と改めて思いましたね。

試合内容は残念でしたが、けれどこの引き分けでセレッソのJ1昇格はかなり
厳しくなってきたのも事実。横浜、いい仕事したのかな。
アツのロングシュートには鳥肌立ちました。まだまだいけるよ。
セレッソの乾は前半は消えてましたが、後半トップ下に入って実に嫌な仕事をしてくれました。
来シーズン、なんとか取れないモンでしょうかね?
そこそこの金を積んでも獲りたいと思うんですが。

ああ、スタジアムは良いもんだってシミジミと思えた一日でした。

次を目指すことは今日を踏みしめること。

今更、監督云々を語る気は無いですしね。
まあ、悪いけど最初っから期待はしてなかったですし。
あれだけチャンスを与えられ続け、かつ失敗を繰り返した人はいないので。

だから、彼の二年目を見届けたいです。
都並監督は横浜FCを立て直すんだと、今こそ信じてみます。
いや、正しくは都並監督という、ひとつのアイデアに向かって、
それを選択したフロント、それを中心にまとまっている選手の頑張り、
未来へのあがきとか、気持ちとか、成熟。そういうものに期待します。

都並監督のイメージするサッカーの形は理解できなくもないですし、
チーム全体がその絵にはまっていけば、人もボールも動くゲームを
見せてくれるんじゃないかとも思えますし。

目の前のものを否定するだけじゃ、前には進めないだろうし、
取捨択一の選択権は私たちには無いのだろうし。
ならばこそ。今をふまえて明日を築いて欲しい。

辞めろって言っても始まらない。
むしろ、更迭ならまだしも、自分から勝手に納得して
「責任もって辞めます」なんぞとは口が裂けても言わないで欲しい。
今更、勝手に辞めてもらっても困ります。
今年の残り試合を戦いきり、来年を目指す。そうであってほしい。

その上で、今後横浜FCが上昇気流に乗ることがあっても。
決して監督のおかげ、なんて言わないけれどもね。
チームは、チームそのものが成長していくことで強くなっていくんだと思います。
誰かがいたから、なんて言葉に置き換える必要の無いチームに、
都並横浜が昇格を勝ち取ってこそ言えるだろうから。

悲しい

JsGOALの実況ライスコ見ながら、今負けを確認。

リーグを盛り上げる最低限の仕事も出来ないのか。
それとも、鳥栖を劇的に昇格戦線に生き残らせるという演出を90分間やりきったのか。

どちらにしろ、いい加減悲しくなってきた。

加齢と、視点の変化と多様化と。(まあ、年寄りの小言ということ)

最近、意識している、いや無意識にも働くようになってきた頭の機能がありまして、
これがつまりは物事を多角的に見直す、時系列で並べて考えてみる、
主観を交えずに読み込みなおし、なおかつそこに自分の主観を併記するという作業です。

視線ってのは、その所有者の後ろから見ればそいつが何を見てるか判りません。
でも、正面から見ていたところで、そいつが本当はどこを見て走ってるのかわかりかねるものだったりします。

昨日の記事で、私はひとまず鹿島ゴール裏の暴挙を批判する立場から、その後のマスメディアに登場する彼らについての伝え方への違和感や、そういった伝え方を、おそらくは恣意的に選択して流布するその意図について書いています。

ただ、だからといって翻って、自分の応援するチームのゴール裏を礼賛することもないし、また自分自身の観戦姿勢や、試合から受け取る印象やら激情の行方やら、そういったものが、鹿島ゴール裏の愚挙、愚かしさと度し難い馬鹿さ加減と、
全く無縁のものでも無いと自戒する視点も持ち合わせないといけないとも思ってます。

マスコミの、様々な興行でおきるああいった事件、事故についての取り上げ方は、
概ね及び腰というか、本質的には茶化しておわらしたがるっていうのは、
やはり結局のところそれが「お客の我侭」に地続きだからに他ならないのかな、とも思います。
結局、金払って賑やか師やっててくれる貴重な人材でもあるのだ。鹿島のゴール裏も。
それはとりもなおさず横浜についても同じことが言えるわけですよ。
だから、横浜はあんな事はしない、俺はしない、なんて視点からは物は書けないかな。

ならば、ああいった愚挙についてどういう立場でつづるべきか。
やはりあれは、スタジアムで起こった刑事事件だという判断を一度下すべきだと思うのです。
そうして公権力にこういった権力の行使のさせ方をすることについての危険性を、
本気で考えるべきなのです。
スタジアムでの応援スタイルというのは、文化でしょう。
だから、その文化について強制によって捻じ曲げられる危険性にこそ、注意を払われるべきだと思います。
鹿島のあれは、ハッキリとそのレベルのことをしてしまっている。

同時に、翻って横浜にもそういった類の事件が幾度かありました。
記憶に新しい(あまり思い出したくも無いですが)去年の横国での一件。
あれについて、一向に進展がありません。
すくなくとも公式のアナウンスはありません。
あの「事件」についても、全面的に横浜FC側に非があるのか、どうか、そういうことももっと突き詰めて欲しいと思ってます。
本当に、横浜FCサポが伝え聞くような愚行を行っているのか?
あまり信じたくありませんが、事実なら究明されないといけないと考えます。
あれはそれこそ刑事事件になっているのですから。

だから、こういった類似のことは確かにどこででも起こりうることだとも判ってます。そして、それについて当事者に立った人間がその行為を隠蔽したり、ミスリードするような記述を続けるべきでもない、と思ってます
(しつこく続けるものでも同時に無いと思いますが)。

その上で、その行為者に対する処分とうのを、いわば主催者がおこなう無期限
観戦おことわり、とか。
これはどうだろうって思うのです。
馬鹿は馬鹿のままでしょう。だから、そいつは相応の報いのようなものは受けるべきだとは思う。
でも、そういう、明らかに何かをやりそうだって事をわかり切った連中を集めている、または集まってくる場において、後付で最小限度の生贄をつくってお茶を濁すというのはどうなんだろうか、と思う。

だからこそ、刑事事件は刑事事件として取りしまわれるべきだし、
それが終われば。その当事者もまたスタジアムに帰ってくる機会があるべきだ。

それでもそいつは馬鹿なことをする。
それはそいつが馬鹿なんであり、そしてそんなヤツを野放しにする自浄作用のないサポーター集団なんだって事の証明だと思います。
いわば。このときこそハッキリと言い切れますよ。「連帯責任です、○○ってチームは最低だ」

でも、それでも、それがソイツのスタイルだっていうんなら。
よほどの事で無い限り、つまり殺人とか傷害事件を、確実にソコで行うやつだ、ということが確定しているようなやつで無い限り。
スタジアムは万民に開かれるべきであると思ってます。

だからこそ。伝えるべき報道、伝わるべき情報は、しっかり伝えて欲しい。
大問題だと思えることについて、しっかりと伝え、またチームに対しては
厳罰をもって対応する姿勢をリーグには示して欲しいと思います。

今回の鹿島の件なら、勝ち点9の没収なんかも十分適用されるべき愚挙だったと思うのです。
選手を、アウェーの観客が凶器で殴り続けたんですから。
その責任は、鹿島というチームが、サポーター全員が負うべきだと考えます。
同時に、その当事者にはその行為の意味をよくかみ締めた上で、
それでもまた、ゴール裏に立ちたいのであれば、ゲートを潜る機会を与えられるべきだと思います。
それを赦す、赦さないの判断を下すべきなのは、同じサポ仲間同士であり、運営であってはならないと思うから。