天皇杯名勝負
2007年12月21日
1992.01.01 天皇杯決勝戦「読売クラブ 1-4 日産自動車」 あれやコレヤと言われる事も間々ある天皇杯ですが、ボクにとっては毎年とても楽しみにしている年末&お正月の定番観戦行事。「コチとら江戸っ子でぇぃ、天皇杯観なきゃ年越せねーぜ」ってな感じなのです。 最近では、元旦決勝国立もすっかり定着し、満員が当たり前の様になった天皇杯の決勝戦。でも、わずか20年ほど前には、国内チーム同士の対戦で「国立が満員になる」なんて、夢の様な話でした。 バブル期に女性を中心に圧倒的な人気を誇ったラグビーならば、12月第1日曜日の早明戦や、成人の日(1/15)の日本選手権で必ず満員になる国立競技場でしたが、(国内チーム同士の)サッカーで満員になるなんて、当時は「夢物語」。明石家さんまさんが宣伝しようと、釜本さんがハダカになろうと、国立のスタンドには空席が目立ちました。 そんなマイナーだった国内サッカーを、大きく変えたエポックメーキングな試合が、1992.01.01の「読売クラブ 対 日産自動車」天皇杯決勝戦。当時の最大収容人数を誇った国立競技場が観衆約60,000人で埋まり、あの元旦に観た「満員の揺れるスタンド」。フットボールファンにとっては忘れられない決勝戦だったと思います。 宿敵・日産自動車のFWエバートンに先制ゴールを食らい、さらにMFのペリクレスをレッドカードで欠く10人の劣勢になりながらも、伝統のショートパスによる中央突破を貫いた読売クラブ。試合終了間際にラモスのパスから、武田のシュートで追い着いた。この瞬間のスタンドは狂喜乱舞の大興奮、真冬の寒さなど全く感じないくらい、スタジアムが熱く沸騰しました。 延長戦ではチカラ尽き、木村和司、若き天才・山田、もう一人のレナトに次々とゴールを奪われて、1−4で敗戦した読売クラブだったけれど、この「美しい敗戦」をボクは永遠に忘れることはないでしょう。 あの時、ピッチにいたキング・カズは今でも現役を続けているし、狂気の左サイドバック・都並敏史も監督として横浜にやってくる。 いつかは横浜と、元旦決勝国立に行きたいなぁ。 今夜は、ブログアミーゴな方々との楽しみな忘年会。 一杯飲みながら、フットボールの話をするのがトテモ楽しみです。
- posted by ken1eagle
- 17:42
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