横浜FCのJ2を振り返る。第6回・2006年

 横浜FCの第1期J2在籍時代を振り返る企画
『横浜FCのJ2を振り返る』最終回は今年のシーズンです。


 でも、コチラで7回に分けて書いたことを、ここでも書くのは正直面倒な気が・・・・・。

 一応、『2006年横浜FCのKISEKI』という題名で、今シーズンを振り返っているので参考にしてください。

(1)シーズン開幕前
(2)3/6
(3)高木監督就任後から第1クール終了まで
(4)第2クール
(5)7月&8月(第3クール中盤まで)
(6)9月・10月(第3クール終盤〜第4クール前半まで)
(7)ラスト6試合(第4クール後半)

横浜FCのJ2を振り返る・第5回2005年

 前年に負け試合を引き分け試合にすることで勝ち点50台に乗せた横浜FC、2005年、引き分け試合をどれだけ勝利に結びつけられるかを期待していました。自分としてはリティ続投でも良かったのではと思っていました。

 監督を足達氏にしたのはこの時点では『育成』という要素を本当に実践したかったのではと感じていました。

 開幕戦のアゥェイ湘南戦で、横浜FCは『どんなサッカーをするのか』ということを全く出せないまま敗戦、その後4試合で勝ち点8獲得した(2勝2分け)ものの、その後、15試合連続で勝てない日々が続きました。(今だから言えることですが、悪い意味で勝負にこだわっていなかったのが勝てない原因の1つにあります。)

 このシーズンでチーム運営にも大きな変化が出ました。6月にフィーとエンターテイメントがチーム運営に加わり、7月にはカズが加入しました。ただ、この段階で、『育成』→『昇格』とチームの方針が変わったことで、足達氏も指揮の執り方が難しくなってしまいました。

 結局、10勝15分け19敗と、2003年に逆戻りしたような成績になってしまい、最終戦には、GM・監督の挨拶がブーイングでかき消されました。(ある意味最悪のシーズンでした)



 ベストマッチを上げるとしたら5節の仙台戦です。
 実は、この試合は、『とある横浜FCファンが作ったブログ』を立ち上げてから初めての試合でした。

 試合は、前半、相手に先制ゴールを許したものの山尾が同点ゴールを入れて1−1で折り返しました。
 後半は点の取り合いとなり、ロスタイム直前、途中交代で入ったジェフェルソンの決勝ゴール!!。彼自信、前年はケガで棒にふったので、本当に嬉しいゴールでした。この勝利で、このシーズン一番希望が持てていた時期でした。

横浜FCのJ2を振り返る・第4回2004年

 横浜FCのJ2を振り返る企画も第4回に入りました。
 この年は、リトバルスキー体制の2年目で、前年の反省による『負けないサッカーの構築』に費やされたシーズンでした。でもこのおかげで、『J2で戦えた』ことを実感できたシーズンになりました。

 開幕戦のホーム仙台戦で4−0と大勝して、横浜FCがJ2入りして以来始めて順位表の一番上に名前が載りました。

 1戦のみの結果ですが、実はかなり大きな意味を持ちます。というもの次節以後、川崎がずっと首位キープしたからです。要は川崎の全44節首位の野望を打ち砕いたことになります。(笑)

 この年の横浜FCは、非常に引き分けの多いシーズンでした。何とか追いつくことに成功した試合もあれば、勝てるチャンスを生かせなかった引き分けもあり、44試合中22試合も引き分けました。
 でも、今まで、シーズンの半分は負けていたことを考えると『進歩』したことを実感しました。
 このシーズンは8位(勝ち点52)で終わりましたが、J1チーム数がが16から18に拡大されることで、『来年は勝ち点65〜70目指せる』と思っていました。(皮算用としては、この年のJ2残留9チームから上げた勝ち点50+来年の成長分or徳島&草津から上げる勝ち点で65〜70)



 このシーズンのベストマッチは、22節鳥栖戦です。
 この試合まで、4連敗中でしたが、前半に内田がドリブルで持ち込んで先制ゴールを決める。ここまでは普通の展開でした。
 後半、開始早々、横浜FCが自陣ペナルティエリアでファールをもらい、GK菅野がFKを蹴ったのですが・・・・・・。おそらく、FW眞中に合わせるつもりだったボールが風に乗ってワンバウンドして、鳥栖GK富永の頭をこえてゴールイン!!。まさにアリエナイ瞬間でした。(ちなみに、ゴールに入った直後、『これって直接FKだったよね』と確認したい気分でした。)
 この勝利で、後半戦への上位争いの望みをつなげた点で価値のある勝利でした。

横浜FCのJ2を振り返る・第3回2003年

 この年のキャンプスタートの日、信じられないニュースが入りました。

   城 彰二、横浜FCに入団!!   

 監督にはリトバルスキーが就任して、外国人選手も入団して、何かが変わるのではとの予感がありました。

 開幕戦のアゥェイ札幌戦2万3千人台の札幌サポに対して、横浜FCサポの数200人くらい、圧倒的アゥェイの状態で、3−1と勝利して、最高のスタートを切りました。

 しかし、失点するとズルズルと連続失点してしまう癖が、1年通して悩まされました。4失点以上した試合が8試合もありました。

 9月には、当時スポンサーであった『ふくしまの米』の地元福島でのホームゲームで、新潟に1−7(J2の最多失点です)で負けてしまいました。(自分は見に行かなかったのですが、最初は信じられませんでした。)
 次の広島戦でもふがいない試合(勝手に切れて黄色2枚もらった選手もいました)をして、試合後バス囲みの騒動に発展しました。

 第4クールは、10月からの8試合で3勝して、何とか持ち直して終了しましたが、失点88総警告114枚と最下位にならなかったのが不思議なシーズンでした。(ちなみに最下位は鳥栖、経営危機の時期でした。)

 この年のベストゲームですが、5月のアゥェイ大宮戦です。
 ここまで、9戦して1回も勝てない相手で、自分も大宮までの鉄道のルートを思い切って変えてみました。
 前半は、終了直前の大宮のミドルシュートを水原がナイスセーブして0−0で折り返し、後半15分、後方からのロングパスをうまく受けたが、先制ゴールを叩き込みました。後半39分には吉武がとどめのゴールを決めて、大宮戦初勝利、4戦連続負けなしという素晴らしい日になりました。
(4戦連続負けなしというもの当時としては素晴らしいことでした)

横浜FCのJ2を振り返る・第2回2002年

 この年の横浜FCですが、国内の大半のサッカーチームが影響を受けたW杯自国開催が、悪い影響を及ぼしたシーズンでした。

 というのも、W杯休みが2ヶ月あったので、W杯開けの7月・8月に2週間3試合のパターンが連続して続き、選手層の薄いチームには不利な日程でした。しかも、三ッ沢球技場が改修等するとのことで、隣の三ッ沢陸上競技場を使うハメになりました。(ちなみに更衣室は球技場の方を使っており、選手入場時はバックスタンド側から選手が入ってくる非常に変則的なスタイルでした。)

 ウチは開幕時、外国人選手が1人もおらず、前シーズン途中から監督をしていた新藤監督の下、超攻撃的フォーメーション『244』をスローガンにしていました。ただし、実態はサイドバックをMF・サイドハーフをFW扱いにした『442』であった上に、当時J2で主流であったカウンター戦法の餌食になるパターンで無失点試合が3試合のみという結果に終わり、81失点もして、最下位でした。

 ただ、ホーム最終戦の際のセレモニーですが、奥寺氏・新藤監督の挨拶時には、2005年の時のようなブーイングで全く挨拶が聞こえないという事態にはなりませんでした。(おそらく、大半の人がW杯の悪影響や、このクラブの現状と受け止められるだけの度量?があったのかもしれません。新藤監督が『自分の責任』とはっきりと言ったこともあったのでしょう。)

 この年のベストゲームですが、5月12日の川崎フロンターレ戦しかありません。
 自分はあまりにも川崎に負けているので、『ひょっとしたら自分行かないほうが良いのかも』と思い込んでいた時期もありました。それでも、『もし横浜FCが勝ったら本当に川崎戦見にいけなくなる』との思いがあり、当日等々力に行きました。
 試合ですが、横浜FCがオウンゴールを献上してしまい、『また負けるのかよ』と思っていたのですが、後半37分、有馬の同点ヘディングシュートが決まり、後半41分、小野信義が逆転ゴール!!非常に長く感じられたロスタイムをしのぎきり、公式戦9戦目にして川崎戦初勝利を上げました。
 選手の出待ちは、まるで優勝したかの騒ぎでした。 この日の横浜FCは日本国内でどのチームよりも強かったのではと思えるくらいの逆転劇でした。

 この試合を最後にW杯休みに入ったのですが、どうせだったらセレッソ大阪戦もやっておいて欲しかったかなと感じています。というもの、W杯明けのホームゲームがそのセレッソ戦で、W杯に出た、森島・西澤目当ての客がたくさん来場してホームの雰囲気ゼロの試合になってしまい、ロスタイムに失点する最悪の負け方をしました。(実はこれが、数年間、ロスタイムに失点する悪い癖がつくきっかけになってしまった試合になりました。)

横浜FCのJ2を振り返る・第1回2001年

 このオフィシャルブログで横浜FCがらみの書くネタ考えていたら、
『第1期J2時代の6年間』を書くのが適当との結論に達しました。

 まず、今回は2001年を書いてみます。(自分の主観中心です)

 とにかくJ2昇格して初めてのシーズンでしたが、ナビスコ杯(※)・天皇杯でJ1チームに勝利する活躍を見せて、J2リーグも9位と1年目にしてはまずまずだったのかもしれません。

 ただ、このシーズンは、横浜FCより下の順位のチーム(鳥栖・水戸・甲府)が存続危機を迎えたりして、今以上にチームの運営が大変な時期だったのではと感じています。
 また、川崎フロンターレは公式戦7試合で1試合延長Vゴール負けを含めて全部して負けるという記録を残してしまいました。


 このシーズンのベストゲームは10月のアゥェイ京都戦です。
 この時期、ソシオからクラメンへの移行に伴い、会社側とソシオ側との対立が激しくなっており、自分も『試合見ずに京都観光続けようか』と思ったほどです。

 でも、会場へ来たらその気持ちはなくなっていました。
 前半、京都のオウンゴールで横浜FCが1点リードして折り返し、後半は横浜FCが点を入れれば、京都が入れ返す試合でした。
 本当に白熱した試合になり、横浜FCのシュートも京都守備陣がゴールライン上で必死にクリアするシーンがあったりして、『絶対に勝ちたい』試合になりました。
 最後は、自分も当時存在していたサンバ隊の『守ーれ水原』コールに合わせて声出したりしていました。
 そして、ロスタイムに突入して、どうにか逃げ切り3−2で勝利しました。

 この勝利は
『会社もソシオも関係ない、自分が好きなチームだから応援するんだ』
という認識を持たせてくれた1戦でした。


(※)1999年〜2001年までは、J1・J2全チームが参加しての、ホーム&アゥェイ形式のトーナメントのカップ戦でした。

正式にJ1昇格承認!!

 ついに、横浜FCがJ1昇格を正式に承認されました。会社の仕事中に、このニュースを知ったのですがもちろん、嬉しい日になりました。
 本当の意味で、『J1での戦い』が始まります。

愛媛戦

 今日は、J2最終戦愛媛FC戦、
 自分は、『今日勝たねば、本当の優勝とはいえない』と思っていたので
本当に勝ってくれてよかったです。
 詳しいことは自分のオリジナルブログに書きますが、とにかく嬉しいの一言です。